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『エボニー』MJ特集記事の和訳

同じく『エボニー』2007年12月号のp82~86の上の部分の和訳。

記者から見た現在のマイケルの心境が語られています。
父としての、優しく厳しいマイケルの横顔がのぞけます。


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マイケルがもどってきた!
記録破りの『スリラー』アルバムの25年。キング・オブ・ポップが、めったに公にしない自己の創造性や過去や将来ついての考えを読者に明かしている。

『エボニー』p82 They call him "Mr. Jackson."
人は彼を「ミスター・ジャクソン」と呼ぶ

 黒い服に身を包み、自信にあふれておちついた態度のマイケル・ジャクソンが、スタッフに指示を与え、自分のこども(ブランケット)を指導し、端正な鼻にのせた老眼鏡の上から周囲を凝視する。

 老眼鏡? そう、マイケル・ジャクソンは、今や2度の離婚歴のある3人のこどもの父で、来年には50歳になろうとしている。少年のようだった興行の主役(impresario)が世界の舞台にムーンウォークで登場してから、4半世紀以上になる。今でも彼は『スリラー』当時のすらりとした体とダンスの動きを維持しているが、老眼鏡は時の流れを感じさせずにはおかない。

 10年ぶりとなる、アメリカの雑誌のインタビューと表紙関連特集記事で、キング・オブ・ポップはニューヨークのホテルのスイートルームで『エボニー』誌と腰をおちつけ、アイコンのめったに見せない人生を覗かせてくれた。数百万ドル規模の企業帝国の統括者であり、おそらくまちがいなく同世代において最も才能あるエンターテイナーであるマイケル・ジャクソンは、2005年の裁判とその無罪判決以来、今までおおやけで口を開くことがなかった。しかしきょう、マイケルは自分を世界の舞台へと運んだ『スリラー』とその数々の葛藤を回顧して、あの時代について思いだしてくれた。

 季節はずれに暖かい秋の日、マイケルは自分の過去に思いをはせた。今回は7回目の単独で『エボニー』の表紙である。また、ジャクソン5の一員としても、彼は兄弟たちと5回表紙を飾った。最初の表紙は、1970年だった。マイケルは、『スリラー』の制作の最初、つまりいちばん最初のデモは1982年初頭に妹のジャネットと弟のランディをバックコーラスに、ホームスタジオで録音されたことを語った。そして、今日の音楽業界の現状に疑問をなげかけた。

 『スリラー』が1982年11月30日にアメリカに舞いおりたとき、アメリカも世界も過渡期だった。ロナルド・レーガンが大統領で、『E.T.』が映画の観客を驚かせ、ジャスティン・ティンバーレークが2才だった。イギリスとアルゼンチンがフォークランド諸島で紛争の真っ最中で、ダウ工業株30種平均が1,065.49という記録的高さに達していた。オリビア・ニュートン・ジョンのアルバム『フィジカル』がチャート1位だった。

 そして、マイケル・ジョセフ・ジャクソンはスタジオで静かにクインシー・ジョーンズと仕事をして、歴史的な偉業を成しとげようとしていた。

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 マイケル・ジャクソンは6歳のときから、国際的なスターだった。大部分のこどもたちが『スクービー・ドゥー』を見ているあいだに、マイケルは自分自身や兄弟たち(ジャクソン5)のために、特許を取れるようなステージの動きの振りつけをしていた。

「ある意味、マイケルは子どものようだった。だが、またある意味、マイケルは世の中の事情がよくわかっていた」そう思い出を語るのは、当時のCBSレコード社長だったウォルター・イェトニコフだ。「マイケルはとても頭のいい実業家だった。弁護士と同等に契約書を読めていた。しかし、またある意味、あの当時、マイケルは小さな子ども(baby)のようでもあった」
 
 いまでは、あのささやくような甲高い声は、少し低くなった。あの柔らかな容貌も、少しはっきりしたものになった。マイケル・ジャクソンの中のあの「小さな子ども(baby)」としての特徴は薄くなったように見える。マイケルの音楽的な才能や影響力は、『スリラー』が世に出て、最も売れたアルバムという地位について25年たった今でも音楽業界を支配している。『スリラー』は世界で1億400万枚、アメリカ国内で5400万枚売り上げ、7曲ものトップ10ヒットと2曲のNo.1シングルを生んだ。

 しかし、青年期から成人期への複雑な移行によって、マイケル・ジャクソンは多くの貴重な経験をした。そうした経験はいくつかの傷跡と知恵をマイケルに残していった。

 この日、マイケルのいちばん小さなこども、5歳のプリンス・マイケルII(マイケルは愛情を込めて、「ブランケット」と呼ぶ)が、そばにすわり、アニメを見ていた。ブランケットは、みんなが自分の父親の周りで大騒ぎをしていることに気づいていない。マイケルの人生は、満ちたりたものになったように見える。(マイケルには、ほかに2人の子どもがいる。パリス・マイケル・キャサリン9歳、そしてプリンス・マイケル・ジョセフJr.―通称プリンス10歳。)

 マイケルは息子を紹介するとき、息子に相手に挨拶する正しいエチケットを教える。「ちがうよ、立って、その手を使う」と、マイケルは息子に示す。息子は手にいっぱいのライフセーバーキャンディーを離すのにしぶしぶの様子で、握手する。

 いろんな意味で、それは父と息子の間のとても「普通の」瞬間だ。そして、マイケル・ジャクソンにとって、すべての記録とドラマのあとで、その普通さ、そして成熟の感覚こそが、人生のこの時期のいちばん重要なもののように見える。

『エボニー』p86は、マイケルとMTVについて。

 マイケル・ジャクソンは現在までの間に、約12枚のソロアルバム、それ以上のNo.1シングル、13のグラミー賞、7億5千万枚以上のレコードを世界中で売った。音楽の歴史と現在のミュージックシーンへの自分の影響力について、マイケルは謙虚に受けとめ、そして光栄に思っている。

「いつも全世代に影響と刺激を与える音楽をやりたいと思っているんだ。正直なところ、死を望む者などだれもいない」マイケルは言う。

「人は自分が創造する物に生きつづけてほしいと願う。そう、自分の作品に長く生きつづけてほしいから、作品に僕のすべてを捧げるんだ」

 今日、ダンス・ステップ、音楽、テーマなどにマイケル・ジャクソンの影響が見られないミュージック・ビデオはほとんどない。ジャスティン・ティンバーレークやUsherはマイケルの動きを手本にし、AkonやNe-Yoはマイケルのサウンドを称賛する。

(マイケルは2008年予定のニューアルバムを、Akon、カニエ・ウエスト、ブラックアイドピースのwill.i.amらとスタジオで制作中)

 話題のティーンエイジャー、クリス・ブラウンは、2007年のMTVビデオ・ミュージック・アワーズでマイケル・ジャクソンに敬意を表した。歌手・ブラウンは『エボニー』に次のように語った。「今いるアーティストで、マイケル・ジャクソンから影響や刺激を受けなかった者なんてひとりもいない。僕はおむつをしてた2才のときだって、マイケル・ジャクソンにあわせて歌ったり踊ったりしていたんだよ。マイケル・ジャクソンはアーティストとしてほとんど完璧に近いよ」

 その最近のMTVトリビュートの裏には、ある正義の勝利があった。実は、マイケルへのそのトリビュートは、もしかしたらなかったかもしれないのだから。

 1983年、マイケルはそれまでMTVの慣習だった人種差別の壁をうちやぶった。当初、その新しいテレビ局はマイケルのミュージックビデオをかけることを拒否したと言われている。「MTVははっきりと言った。僕の音楽はかけないと。僕の心はズタズタにされた」マイケルは、いま、そう語る。

 しかし、マイケルはそのことで自分の心に火がついたと言う。「僕は無視されることを拒否した。それから、アルバム『スリラー』に取りくんで、つねに最大限の努力をしようとした」マイケルはそう回想する。

 MTVがマイケルのビデオをかけないと言ったとされるとき、CBSの社長だったイェトニコフは反撃した。「Ok、それなら、バーブラ・ストライサンドやシカゴやほかのアーティストたちも全部撤退させよう」

「『スリラー』の前、ボブ・ピットマン(1982年のMTVの設立者)とは意見があわなかった。ボブ・ピットマンの言うことは嘘八百だ。 僕がこう言ったと書いてくれていいよ。MTVは開始当時、ロック専門局と名のっていた」イェトニコフはニューヨークの自分のオフィスで語る。「“ビリー・ジーン”と“ビート・イット”が出たとき、MTVはかけたがらなかった。事実、MTV側は、『だめだよ、MTVはロックの感性でやってるから。これ、マイケル・ジャクソンじゃないか、彼は黒人だよ』と言ったんだよ」

 ピットマンは返事することができなかったが、MTV・VH1・Boxの共同設立者・創設者のレス・ガーランドは、2006年にJET誌に、その話は「作り話」だと語った。
「 躊躇はまったくなかった。不安もなかった。僕はピットマンに電話して言った。『たったいま、最高のビデオを見たよ(それは“ビリー・ジーン”だった)まだオンエアされてないけど、すごくいいよ』ピットマンはその日のうちに、“ビリー・ジーン”をMTVのリストに加えた。作り話がいかに事実として報道されるようになるか、ほんとうに驚いているよ」

 しかし、現在74歳になるイェトニコフは、その出来事を鮮やかに憶えている。「僕はマイケルをオンエアしないなら、自分の全カタログ、全レコードを撤退させると言った。冗談じゃない。CBSは本気だった。もしそうなったら、ワーナーブラザースも訴訟にしたがおうとしていた」

(当時のCBSには、バーブラ・ストライサンド、ビリー・ジョエル、ブルース・スプリングスティーン、リビングカラー、そのほか“ものすごい数のアーティストたち”がいた)「僕は、『おいおい、みんなまるで集団ストライキのようだな』と言ったんだよ」イェトニコフはそう言って笑う。

 伝説の音楽プロデューサー・クインシー・ジョーンズは、親会社タイムワーナーの創立者でMTVの父、故スティーブ・J・ロスの友人だった。クィンシーのMTVとの交渉に関する記憶は、少し違っている。しかし、ネットワークとスターの重要性は認めている。
クィンシーは言う。「その出来事の真実は、マイケルとMTVがお互いを乗せて栄光へと走ったということだった。そんなことは、過去に1度もなかった。そして、もう2度と起こらない」

「それは、画期的な出来事だった。ある意味、『スリラー』が、MTVを作った」イェトニコフは付けくわえる。「『スリラー』によって、マイケルはそれまで存在していなかったようなすごいアーティストになった。CBSレコードにも儲けさせた」イェトニコフの見積もりによると、そのアルバムによって5億ドルから10億ドルの金がCBSにもたらされた。
「一時期など、1週間に100万枚ものレコードが売れたんだ!」

同じく、25年前にアルバム『スリラー』を制作したときの裏話です。

*****


『スリラー』アルバムをプロデュースしたクィンシー・ジョーンズは、その莫大な売り上げの、あまり目立たない理由をひとつ挙げた。「このレコードは7通りのちがった聴きかたができる。僕らは7種類の『つかみ』を用意したからね。1度聴いただけで、すべてを理解するのは無理さ。6回7回と聴かなくちゃね」それから、こうも付け加えた。「レコード盤の時代は、レコードを擦りきらせてしまって、みんな3枚4枚と買ったものさ。最初から全部理解するのは無理だったからだよ」

 イェトニコフは、マイケルと『スリラー』が自分のキャリアを作ったとも言う。「あの男のおかげなのさ。マイケルは僕のおかげだと思ってるかもしれないが、マイケルのおかげなのは歴然さ」

 しかし、マイケルと『スリラー』の時代とくらべると、今日の音楽はまったちがうとイェトニコフは言う。「まるでつまらないよ。もし、また別のアーティストがマイケルみたいな音楽をやったら、吐き気がしそうだ」

 それには、マイケルも同感だ。「みんなもっと実験的、革新的になるべきだと思う。よくみんな、『僕たちには、マイケル・ジャクソンのような予算がない』と言うよね」と、マイケルは笑う。「まちがっているよ。ほとんど何もなくても、とても創造的になれるんだよ。それに、そういう作品がたいてい最高のものなんだよ。最小限まで剥ぎとって、自分自身の内面にまで踏みこんで創作するときできるものこそが。型どおりのものが多すぎると思うよ」

 グレッグ・フィリンガンズは、経験豊かなアレンジャー兼キーボード奏者である。
彼は『スリラー』やマイケルのほかの多くのプロジェクトにおいても重要なミュージシャンだった。グレッグは、『スリラー』アルバムの制作を振りかえる。

「クィンシーとマイケルとの制作は、いつも特別だったよ。この2人は、すべての人の最高の状態を引きだすのさ。Aランクのチームに入ったら、Aランクの試合をやらなきゃならないのさ。マイケルは、強固な音楽的目標と、芸術的に到達したいものへの強い感覚を持っていた。だけど、『スリラー』の制作は、同時にとても楽しい経験だったよ。クィンシーは、いつだって場の空気を楽しくした。クィンシーは、映画のキャスティング・ディレクターのように、役者を選ぶのがうまいんだ。その仕事にぴったりの人物を連れてくる。音楽にたいしても同様だった。それは、キラキラ輝く時間だった。僕はただ、バスやストリングスといったすべてのパーツを重ねていくのが、そしてマイケルのボーカルを聴くのが楽しかったことを憶えている。僕たちはあんなに売れるとは想像していなかった。ほんとに、とても特別だった。マイケルのパフォーマンスから、わかるよね」

 ベテラン歌手でクィンシーのもうひとりの弟子、ジェームス・イングラムは言う。「クィンシーは音楽に関しては冷酷。彼にとって、ヒットするかしないか、2つに1つしかない。だれが相手でも同じなんだ」ジェームスはクィンシーと一緒に 『スリラー』からTop10ヒットになった「P.Y.T.」を作った。

「クィンシーの奥さんのペギー(=リプトン)が“Pretty Young Things”(かわいい女の子)という女性用下着を持ってきたのさ。天才のクィンシーは、いいタイトルになるって言った。マイケルは、スタジオ録音で曲を最高に仕上げた。それに、マイケルみたいに、パフォーマーがレコーディング中にずっと踊るのを僕は見たことがないよ。今まで見た連中はみんな、スタジオに入ったらマイクに全エネルギーをそそぐ。ところがマイケルは、スタジオに入って、全力で同時に歌って踊ったんだよ。びっくりしたよ」ジェームスは言う。「ほら、クィンシーは普通の人間じゃないだろ、天才さ。だから(マイケルみたいな)天才をたくさんひきつけるのさ」

 マイケルも、 『スリラー』『オフ・ザ・ウオール』 を盛りあげて自分のその後の音楽キャリアにも影響を与えることになったマジカルな時間を作りだしてくれたのは、クィンシーにほかならないと思っている。

 マイケルは言う。「8歳のとき、サミー・デービスJr.がクィンシーに紹介してくれたんだ。僕はそのことを決して忘れない。そのとき僕は、サミーがクィンシーに『こいつはただものじゃない、すごい子なんだ』と言うのが耳に入って、無意識のうちに心にとどめていた」

 何年もたって、マイケルはクィンシーに自分のアルバムをいっしょにやってほしいと頼んだ。1978年の映画 『ウィズ』のセットでは、2人の相性が黄金のコラボレーションを生みだした。「クィンシーといっしょに仕事をする素晴らしさは、彼が人にその人らしいことをさせてくれること…」とマイケルは言う。マイケルは制作の過程にとても慎重で、クラシック音楽の熱狂的ファンでもあるが、こうも付け加えた。「ひとたび、ぴったりの相性がその場に生まれたら、もう必ずマジックが起こるんだよ」

 映画 『ウィズ』の制作中に、クィンシーはときどきマイケルのなかに今まで見たことがない何かを見た。クィンシーは『エボニー』誌に語った。「映画の制作中に、いままで表に出たことがないマイケルの1面を見ることができた。マイケルがいかに頭がいいか、いかに繊細か僕にはわかった。そんな面は、以前のレコードではまったく表現されていなかったのさ」

 しかしクィンシーはもうちょっとでその企画を逃すところだった。「エピック(レコード、CBSの一部)は僕を使いたがらなかった……『ばか言うなよ、クィンシーはジャズっぽ過ぎる』って言ってね」とクィンシーは言う。

 だが、マイケルは何がなんでもクィンシーをと要求して、その後はみんなが知っての通りである。

 毎日と言っていいほど、クィンシーはそのプロジェクトの影響を世界中で見る。「いいかい、僕は今年、少なくとも3回世界を周った。アンコール・ワット、ベトナム、ソウル、ルワンダ、カイロ、アブ・ダビ、ドバイ、モスクワ。でも、いったいどこの都市にいるのか分からないのさ。なぜって、どこでも12時にあの音楽をかけ始める。“スタサム”や“Don't Stopドンスト~” や“ビリー・ジーン”……それを聴いて、 僕は恍惚としたよ。まるで25年前のようだった。前に言っただろ、80年代はぼくたちのものだったって!」


**********


●アルバム『スリラー』の記録
○世界で1番売れたアルバム 
世界中で1億400万枚
アメリカ国内で5400万枚
○年間売り上げ連続1位
1983年と1984年
○ビルボード100チャート・エントリー
122週
○No.1
37週
○トップ10シングル
7曲
○No.1シングル
2曲 「ビリー・ジーン」「ビート・イット」
○グラミー賞
7個

****************

 マイケル・ジャクソンは、バッハからボー・ディドリー(注:ブルースとロックンロールの架け橋になったと言われるシンガー・ギタリスト)にいたるまでの、様々な創造的エネルギーが結集して誕生した。

「クラシック・ミュージックが、実は僕の本当の初恋なんだ」マイケルは打ち明ける。そして、付け加えた。「それと、僕のおじさんが『ガットバケット』と呼ぶ本物の南部のジャズ、それを自分の背骨に感じるんだ」

 当然のことながら、マイケルは自分の音楽と、とても深い関係にある。マイケルにとって、音楽はメロディがすべてだ。マイケルは、自分のすべての曲のおおまかな「テンプレート(サンプル)」を作る。「お気に入りのリフ(繰り返し演奏されるメロディー)の性格をつかむには、時間も手間もかかるんだ」と、マイケルは言う。そして、自分の音楽の主人公として、音楽やプロットについて語る。「音楽はタペストリー。様々な層の積み重ねだ。まるで織物だよね。音楽を層として見ると、音楽への理解がさらに深まるよ」

 キング・オブ・ポップは、クィンシーとの仕事はとても素晴らしかったと言う。なぜなら、「クィンシーは天才だから、音楽を邪魔したりしないんだ。何か加える必要があれば、そうする。たとえば、すばらしいリフとかね。クィンシーはよく言った。『スメリー(クィンシーがつけたニックネーム)、歌にしゃべらせるんだ。もしも歌にストリングスが必要なら、歌がそうきみに教えてくれるよ。脇に寄って、すき間を残しておくのさ。そうすれば、神さまがやって来れるからね』と」

 クィンシーはうなづく。「それは、僕のモットーだったんだよ。神さまがその場を通れるように、すき間を残しておかなければならない。僕たちが何をするかじゃないのさ。年をとればとるほど、僕は本当に、何についても自分たちがやらなきゃいけないことは何て少ないのかと思うようになったよ」

*************

 マイケルにとって、自己の精神性は、創造力のもうひとつの源だ。
「僕は、崇高な力の存在を強く信じている。神のめぐみすべてに、僕は心から感謝している」マイケルは言う。自分がこれだと思うものを作るとき、それを神と分かち合い「跪き」感謝をささげるのだと。

 来年の8月29日、マイケル・ジャクソンは50歳になる。マイケルは、特別な食事はしていないし、めったに運動もしないが、今も素晴らしい体型を保っている。それに、自分がますます創造的だということも認めている。また、自分が24歳のときとは違っていることも。「僕は、いつでも頭のどこかに、強い願望があった。僕がしたかったことは、子どもを育てること、子どもを持つことだった。僕は今、それをとても楽しんでいるよ」

 マイケルは、3人の子どもたちとよく旅行すると言う。最近、南アフリカに行った。「アフリカが大好きなんだ。アフリカには、いろんな楽しみ方がある。シミュレーター・ライドや映画館、波のあるプールもある。レコード店やお菓子屋、本屋にも行く。アフリカには、いろんなものがあるのさ」

 今やマイケルは、大人になった。マイケルをいちばんよく知っている人びとには、それが分かる。ジェシー・ジャクソン師は、古くはジャクソン5時代から、マイケルの人生をほとんど全部見てきた。ジャクソン師は、2005年のカリフォルニア裁判の間はマイケルと毎日連絡を取り合っていたし、現在はスーパースター・マイケルの個人アドバイザーを務めている。

 ジャクソン師は言う。「マイケルは、自分自身に満足していると思う。マイケルは、自分には特別な才能、天分と特別な責任があることが分かっている。それに、自分がスーパースターだということも分かっている。マイケルは、セルフ・コントロールの感覚を備えているようだ。けれど、他の偉大なスターたち同様、マイケルは多くの人びとにとっては謎めいたように見える。だが、そんなすべての奥底で、母や父や兄弟や姉妹たちに対して、とても深い愛情を持っている。マイケルは、何よりもまず、ジャクソン一家の一員なのさ」

 マイケル・ジャクソンは80歳になってもムーンウォークをしているだろうか? マイケルは、きっぱりと「No」と言う。マイケルは、コンサートからコンサートへ、巨大スタジアムから次のスタジアムへと飛行機で飛び回りながら、年をとっていくのはいやだと思っている。とにかく、そんなふうに走り回りたくない。「ジェームス・ブラウンやジャッキー・ウィルソンがやったようなやり方じゃなくて……」マイケルは言う。「彼らは、ただただ走り続けて、ずっと自分たちを痛めつけていた。[ジェームス・ブラウンが]もう少しゆっくりリラックスして、仕事を楽しむことができたらよかったのにと思う」

 マイケルには、これからの25年間のために、他の計画がある。「もっとフィルムをやりたいんだよ。ステージじゃなくて。自分がフィルムでの方が創造性に富んでいると思っているんだ。監督したり、フィルムで自分を監督したり。世界中を[ステージで]駆け回るよりは。なぜかと言うと、[ステージは]形あるものとして、キャプチャーして残すことができない。はかないのさ。コンサートは、世界で1番はかないもの。見るのにはいいけど、キャプチャーできない。フィルムなら、時間を止めれる」

 マイケル・ジャクソンにとって、時間は決して止まったことがない。毎年、1つ1つの挑戦の度に、1人ずつ子どもを授かるごとに、1つ1つの成功の度に、マイケルは少しずつ思慮深くなる。

 マイケル・ジャクソンは鏡の中の男に出会った。そして、その男に満足している。




01:31 | ◆"Ebony"誌MJインタビュー【2007年】全訳 | comments (2) | trackbacks (0) | edit | page top↑
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comments

# ありがとうございました。
2007年のマイケルの言葉が聴けるなんて
すごく うれしかったです。ありがとう
ございました。
ちょっと前じゃないですか~
by: チャコママ | 2010/09/14 01:25 | URL [編集] | page top↑
#
チャコママさん

そうなんです、ほんのちょっとまえ。
マイケルは元気で、これから先の人生にもいろいろな計画があったみたいなのに。。
by: ゆみ | 2010/09/14 02:07 | URL [編集] | page top↑

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