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森 ゆみ

Author:森 ゆみ
アート、絵本、ミステリ、歴史(特に伝記)、料理の本を愛読しています。趣味は日本刺繍の絽ざしとガーデニング。英語講師、映画やアートの産業翻訳、出版翻訳を営業中です。このブログは子供のころから大好きなマイケル・ジャクソンのことを書いて始めましたが、現在はおもに翻訳関係の記録用に使っています。

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母との6年
2017/08/12(土) 21:20:18
2009年の父の急死で、母はショックのあまり精神的に異常をきたした。繊細で几帳面な母の神経は医師としての母の仕事には最適だったが、父のいなくなったことには耐えられなかったようだ。
その日を境に、母の記憶が数日間消えた。また、記憶が戻ってからも、鬱の状態がきつくなった。母の信頼する心療内科の先生に定期的にかかることになり、自宅療養が始まった。とてもひとりでほおっておけなくなって、近所に住んでいたので母の家に息子たちふたりと移り住んだ。
それから、母が2015年に再生不良性貧血で亡くなるまでの6年、私はいつも母といっしょだった。英語講師や産業翻訳の仕事を減らしてもらって、いっしょに食事をとり、母の心が落ち着くことを祈って暮らしていた。最後の数カ月まで母は自分で散歩もできたので、本当に大変だったのは母との長い長い会話の相手だったように思う。もう少し、母が社交的な人だったら、地域のサークルなどに出ていけたのかもしれない。けれど長年仕事一筋だった母の趣味は、ジムで水泳をするとか、ひとりでショッピングをすることで、あまり家族以外と交わることを好まなかった。
6年の間、私まで籠の鳥になったようで、家を離れられない日々が続いたが、息子たちが母に優しかったのが一番の救いだった。今となっては、私が母の言いなりに家でいっしょに閉鎖的に過ごしていたのが最善の方法だったのかはわからない。単身赴任中だった夫とは、母のことで諍いが絶えなかった。その6年の間に、姉夫婦と同居していた福岡の夫の両親も亡くなった。
2015年5月、母が自宅で亡くなった。貧血がひどく、もう輸血も無理になっていた。
6年の間、母はいつも自分の過去を反省したり後悔したりしていた。それを「そんなこと大丈夫」とうっとうしがるのではなく、もっと「そうね、そうね」と心に沿ってあげられたらよかった。その方が母も幸せな気分だったのにと、今も思う。至らないところだらけの自分だったが、最後の晩、母のベッドでいっしょに眠れたことだけはほんとによかった。
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