スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--:-- | スポンサー広告 | edit | page top↑

『誇り高き王妃』

カニグズバーグ 『誇り高き王妃』 訳 小島希里
わたしの人生には、よいできごと、悪いできごと、そして悲しいできごとがありました。悪いことと悲しいことでうちひしがれた時もありました。しかし、よいことしかない人生を味わっても、人生の半分しか味わっていなことになります。わたしが1204年にほほえみながら亡くなることができたのは、両方の香りをじゅうぶんに飲み干したと思っていたからです。何一つ無駄にすることはなかったと思っていたからです。
My life was marked by good happenings, bad happenings and sad ones, too. There were times when the bad and the sad could have weighed me down. But to drink life from only the good is to taste only half of it. When I died in that year 1204, I smiled, knowing that I had drunk fully of both flavors. I had wased nothing.
スポンサーサイト
15:49 | ◇翻訳 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

村上春樹の翻訳について

柴田元幸は、翻訳チェックをする上で感じた、村上の仕事ぶりの特徴を次のように述べる。「ふつう誤訳を指摘されるとひとは傷つくんですよ。傷ついて自己弁明するのにいちいち時間をかけているとこっちはくたびれるんです。そういうのがいっさいない。」「ここの三行目ですけど、といった時点で、彼はもう直そうという気になっている。」

※ネットで拾ったので、出典が不明
12:47 | ◇翻訳 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

『草原の輝き』


Splendor in the Grass

William Wordsworth

Though nothing can bring back the hour of splendor in the grass,

of glory in the flower, we will grieve not.

Rather find strength in what remains behind.

草原の輝き
 ウイリアム・ワーズワース 翻訳 高瀬鎮夫(たかせしずお)

花の栄光再びそれは還(かえ)らずとも

なげくなかれ

その奥に秘められたる力を見い出すべし

★ワーズワースの詩『霊魂不滅のうた』(Ode: Intimations of Immortality)より
12:40 | ◇翻訳 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

『幻の女』の出だし

◆The Phantom Lady by William Irish

The night was young and so was he. But the night was sweet, and he was sour.

◆『幻の女』 ウイリアム・アイリッシュ(稲葉明雄 訳)

夜は若く、彼も若かったが、夜の空気は甘いのに、彼の気分は苦かった。

https://www.amazon.co.jp/%E5%B9%BB%E3%81%AE%E5%A5%B3-%E3%83%8F%E3%83%A4%E3%82%AB%E3%83%AF%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AA%E6%96%87%E5%BA%AB-HM-9-1-%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5/dp/4150705518/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1403317959&sr=8-1&keywords=%E5%B9%BB%E3%81%AE%E5%A5%B3
12:35 | ◇翻訳 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

『ロング・グッバイ』を読んでいて思ったこと

いま、村上春樹が翻訳した『ロング・グッバイ』を読んでいます。漢語が少ないせいか文章が軽やかに感じます。無駄がない感じ。あいまいさも少ない。(平坦で、ちょっと味わいが乏しい気もしますが。)これを見ていると、わたしの書く訳文は漢語が多すぎて重すぎるように思います。漢語によって借りてきたイメージが四方八方広がりすぎて、文章の流れや深い意味に集中しにくくて、散漫な感じがします。このへんが、自分の問題点のひとつかもしれません。わたしは、作者が言いたいことに集中せず、枝葉にばかり気が散っているのかも。もちろん細部も大切ですが、細部がバラバラになることなく、作者が描くテーマという木の一部になっていなければならないはず。
12:33 | ◇翻訳 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。