『エボニー』MJ特集記事の和訳

同じく『エボニー』2007年12月号のp82~86の上の部分の和訳。

記者から見た現在のマイケルの心境が語られています。
父としての、優しく厳しいマイケルの横顔がのぞけます。


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マイケルがもどってきた!
記録破りの『スリラー』アルバムの25年。キング・オブ・ポップが、めったに公にしない自己の創造性や過去や将来ついての考えを読者に明かしている。

『エボニー』p82 They call him "Mr. Jackson."
人は彼を「ミスター・ジャクソン」と呼ぶ

 黒い服に身を包み、自信にあふれておちついた態度のマイケル・ジャクソンが、スタッフに指示を与え、自分のこども(ブランケット)を指導し、端正な鼻にのせた老眼鏡の上から周囲を凝視する。

 老眼鏡? そう、マイケル・ジャクソンは、今や2度の離婚歴のある3人のこどもの父で、来年には50歳になろうとしている。少年のようだった興行の主役(impresario)が世界の舞台にムーンウォークで登場してから、4半世紀以上になる。今でも彼は『スリラー』当時のすらりとした体とダンスの動きを維持しているが、老眼鏡は時の流れを感じさせずにはおかない。

 10年ぶりとなる、アメリカの雑誌のインタビューと表紙関連特集記事で、キング・オブ・ポップはニューヨークのホテルのスイートルームで『エボニー』誌と腰をおちつけ、アイコンのめったに見せない人生を覗かせてくれた。数百万ドル規模の企業帝国の統括者であり、おそらくまちがいなく同世代において最も才能あるエンターテイナーであるマイケル・ジャクソンは、2005年の裁判とその無罪判決以来、今までおおやけで口を開くことがなかった。しかしきょう、マイケルは自分を世界の舞台へと運んだ『スリラー』とその数々の葛藤を回顧して、あの時代について思いだしてくれた。

 季節はずれに暖かい秋の日、マイケルは自分の過去に思いをはせた。今回は7回目の単独で『エボニー』の表紙である。また、ジャクソン5の一員としても、彼は兄弟たちと5回表紙を飾った。最初の表紙は、1970年だった。マイケルは、『スリラー』の制作の最初、つまりいちばん最初のデモは1982年初頭に妹のジャネットと弟のランディをバックコーラスに、ホームスタジオで録音されたことを語った。そして、今日の音楽業界の現状に疑問をなげかけた。

 『スリラー』が1982年11月30日にアメリカに舞いおりたとき、アメリカも世界も過渡期だった。ロナルド・レーガンが大統領で、『E.T.』が映画の観客を驚かせ、ジャスティン・ティンバーレークが2才だった。イギリスとアルゼンチンがフォークランド諸島で紛争の真っ最中で、ダウ工業株30種平均が1,065.49という記録的高さに達していた。オリビア・ニュートン・ジョンのアルバム『フィジカル』がチャート1位だった。

 そして、マイケル・ジョセフ・ジャクソンはスタジオで静かにクインシー・ジョーンズと仕事をして、歴史的な偉業を成しとげようとしていた。

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 マイケル・ジャクソンは6歳のときから、国際的なスターだった。大部分のこどもたちが『スクービー・ドゥー』を見ているあいだに、マイケルは自分自身や兄弟たち(ジャクソン5)のために、特許を取れるようなステージの動きの振りつけをしていた。

「ある意味、マイケルは子どものようだった。だが、またある意味、マイケルは世の中の事情がよくわかっていた」そう思い出を語るのは、当時のCBSレコード社長だったウォルター・イェトニコフだ。「マイケルはとても頭のいい実業家だった。弁護士と同等に契約書を読めていた。しかし、またある意味、あの当時、マイケルは小さな子ども(baby)のようでもあった」
 
 いまでは、あのささやくような甲高い声は、少し低くなった。あの柔らかな容貌も、少しはっきりしたものになった。マイケル・ジャクソンの中のあの「小さな子ども(baby)」としての特徴は薄くなったように見える。マイケルの音楽的な才能や影響力は、『スリラー』が世に出て、最も売れたアルバムという地位について25年たった今でも音楽業界を支配している。『スリラー』は世界で1億400万枚、アメリカ国内で5400万枚売り上げ、7曲ものトップ10ヒットと2曲のNo.1シングルを生んだ。

 しかし、青年期から成人期への複雑な移行によって、マイケル・ジャクソンは多くの貴重な経験をした。そうした経験はいくつかの傷跡と知恵をマイケルに残していった。

 この日、マイケルのいちばん小さなこども、5歳のプリンス・マイケルII(マイケルは愛情を込めて、「ブランケット」と呼ぶ)が、そばにすわり、アニメを見ていた。ブランケットは、みんなが自分の父親の周りで大騒ぎをしていることに気づいていない。マイケルの人生は、満ちたりたものになったように見える。(マイケルには、ほかに2人の子どもがいる。パリス・マイケル・キャサリン9歳、そしてプリンス・マイケル・ジョセフJr.―通称プリンス10歳。)

 マイケルは息子を紹介するとき、息子に相手に挨拶する正しいエチケットを教える。「ちがうよ、立って、その手を使う」と、マイケルは息子に示す。息子は手にいっぱいのライフセーバーキャンディーを離すのにしぶしぶの様子で、握手する。

 いろんな意味で、それは父と息子の間のとても「普通の」瞬間だ。そして、マイケル・ジャクソンにとって、すべての記録とドラマのあとで、その普通さ、そして成熟の感覚こそが、人生のこの時期のいちばん重要なもののように見える。

『エボニー』p86は、マイケルとMTVについて。

 マイケル・ジャクソンは現在までの間に、約12枚のソロアルバム、それ以上のNo.1シングル、13のグラミー賞、7億5千万枚以上のレコードを世界中で売った。音楽の歴史と現在のミュージックシーンへの自分の影響力について、マイケルは謙虚に受けとめ、そして光栄に思っている。

「いつも全世代に影響と刺激を与える音楽をやりたいと思っているんだ。正直なところ、死を望む者などだれもいない」マイケルは言う。

「人は自分が創造する物に生きつづけてほしいと願う。そう、自分の作品に長く生きつづけてほしいから、作品に僕のすべてを捧げるんだ」

 今日、ダンス・ステップ、音楽、テーマなどにマイケル・ジャクソンの影響が見られないミュージック・ビデオはほとんどない。ジャスティン・ティンバーレークやUsherはマイケルの動きを手本にし、AkonやNe-Yoはマイケルのサウンドを称賛する。

(マイケルは2008年予定のニューアルバムを、Akon、カニエ・ウエスト、ブラックアイドピースのwill.i.amらとスタジオで制作中)

 話題のティーンエイジャー、クリス・ブラウンは、2007年のMTVビデオ・ミュージック・アワーズでマイケル・ジャクソンに敬意を表した。歌手・ブラウンは『エボニー』に次のように語った。「今いるアーティストで、マイケル・ジャクソンから影響や刺激を受けなかった者なんてひとりもいない。僕はおむつをしてた2才のときだって、マイケル・ジャクソンにあわせて歌ったり踊ったりしていたんだよ。マイケル・ジャクソンはアーティストとしてほとんど完璧に近いよ」

 その最近のMTVトリビュートの裏には、ある正義の勝利があった。実は、マイケルへのそのトリビュートは、もしかしたらなかったかもしれないのだから。

 1983年、マイケルはそれまでMTVの慣習だった人種差別の壁をうちやぶった。当初、その新しいテレビ局はマイケルのミュージックビデオをかけることを拒否したと言われている。「MTVははっきりと言った。僕の音楽はかけないと。僕の心はズタズタにされた」マイケルは、いま、そう語る。

 しかし、マイケルはそのことで自分の心に火がついたと言う。「僕は無視されることを拒否した。それから、アルバム『スリラー』に取りくんで、つねに最大限の努力をしようとした」マイケルはそう回想する。

 MTVがマイケルのビデオをかけないと言ったとされるとき、CBSの社長だったイェトニコフは反撃した。「Ok、それなら、バーブラ・ストライサンドやシカゴやほかのアーティストたちも全部撤退させよう」

「『スリラー』の前、ボブ・ピットマン(1982年のMTVの設立者)とは意見があわなかった。ボブ・ピットマンの言うことは嘘八百だ。 僕がこう言ったと書いてくれていいよ。MTVは開始当時、ロック専門局と名のっていた」イェトニコフはニューヨークの自分のオフィスで語る。「“ビリー・ジーン”と“ビート・イット”が出たとき、MTVはかけたがらなかった。事実、MTV側は、『だめだよ、MTVはロックの感性でやってるから。これ、マイケル・ジャクソンじゃないか、彼は黒人だよ』と言ったんだよ」

 ピットマンは返事することができなかったが、MTV・VH1・Boxの共同設立者・創設者のレス・ガーランドは、2006年にJET誌に、その話は「作り話」だと語った。
「 躊躇はまったくなかった。不安もなかった。僕はピットマンに電話して言った。『たったいま、最高のビデオを見たよ(それは“ビリー・ジーン”だった)まだオンエアされてないけど、すごくいいよ』ピットマンはその日のうちに、“ビリー・ジーン”をMTVのリストに加えた。作り話がいかに事実として報道されるようになるか、ほんとうに驚いているよ」

 しかし、現在74歳になるイェトニコフは、その出来事を鮮やかに憶えている。「僕はマイケルをオンエアしないなら、自分の全カタログ、全レコードを撤退させると言った。冗談じゃない。CBSは本気だった。もしそうなったら、ワーナーブラザースも訴訟にしたがおうとしていた」

(当時のCBSには、バーブラ・ストライサンド、ビリー・ジョエル、ブルース・スプリングスティーン、リビングカラー、そのほか“ものすごい数のアーティストたち”がいた)「僕は、『おいおい、みんなまるで集団ストライキのようだな』と言ったんだよ」イェトニコフはそう言って笑う。

 伝説の音楽プロデューサー・クインシー・ジョーンズは、親会社タイムワーナーの創立者でMTVの父、故スティーブ・J・ロスの友人だった。クィンシーのMTVとの交渉に関する記憶は、少し違っている。しかし、ネットワークとスターの重要性は認めている。
クィンシーは言う。「その出来事の真実は、マイケルとMTVがお互いを乗せて栄光へと走ったということだった。そんなことは、過去に1度もなかった。そして、もう2度と起こらない」

「それは、画期的な出来事だった。ある意味、『スリラー』が、MTVを作った」イェトニコフは付けくわえる。「『スリラー』によって、マイケルはそれまで存在していなかったようなすごいアーティストになった。CBSレコードにも儲けさせた」イェトニコフの見積もりによると、そのアルバムによって5億ドルから10億ドルの金がCBSにもたらされた。
「一時期など、1週間に100万枚ものレコードが売れたんだ!」

同じく、25年前にアルバム『スリラー』を制作したときの裏話です。

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『スリラー』アルバムをプロデュースしたクィンシー・ジョーンズは、その莫大な売り上げの、あまり目立たない理由をひとつ挙げた。「このレコードは7通りのちがった聴きかたができる。僕らは7種類の『つかみ』を用意したからね。1度聴いただけで、すべてを理解するのは無理さ。6回7回と聴かなくちゃね」それから、こうも付け加えた。「レコード盤の時代は、レコードを擦りきらせてしまって、みんな3枚4枚と買ったものさ。最初から全部理解するのは無理だったからだよ」

 イェトニコフは、マイケルと『スリラー』が自分のキャリアを作ったとも言う。「あの男のおかげなのさ。マイケルは僕のおかげだと思ってるかもしれないが、マイケルのおかげなのは歴然さ」

 しかし、マイケルと『スリラー』の時代とくらべると、今日の音楽はまったちがうとイェトニコフは言う。「まるでつまらないよ。もし、また別のアーティストがマイケルみたいな音楽をやったら、吐き気がしそうだ」

 それには、マイケルも同感だ。「みんなもっと実験的、革新的になるべきだと思う。よくみんな、『僕たちには、マイケル・ジャクソンのような予算がない』と言うよね」と、マイケルは笑う。「まちがっているよ。ほとんど何もなくても、とても創造的になれるんだよ。それに、そういう作品がたいてい最高のものなんだよ。最小限まで剥ぎとって、自分自身の内面にまで踏みこんで創作するときできるものこそが。型どおりのものが多すぎると思うよ」

 グレッグ・フィリンガンズは、経験豊かなアレンジャー兼キーボード奏者である。
彼は『スリラー』やマイケルのほかの多くのプロジェクトにおいても重要なミュージシャンだった。グレッグは、『スリラー』アルバムの制作を振りかえる。

「クィンシーとマイケルとの制作は、いつも特別だったよ。この2人は、すべての人の最高の状態を引きだすのさ。Aランクのチームに入ったら、Aランクの試合をやらなきゃならないのさ。マイケルは、強固な音楽的目標と、芸術的に到達したいものへの強い感覚を持っていた。だけど、『スリラー』の制作は、同時にとても楽しい経験だったよ。クィンシーは、いつだって場の空気を楽しくした。クィンシーは、映画のキャスティング・ディレクターのように、役者を選ぶのがうまいんだ。その仕事にぴったりの人物を連れてくる。音楽にたいしても同様だった。それは、キラキラ輝く時間だった。僕はただ、バスやストリングスといったすべてのパーツを重ねていくのが、そしてマイケルのボーカルを聴くのが楽しかったことを憶えている。僕たちはあんなに売れるとは想像していなかった。ほんとに、とても特別だった。マイケルのパフォーマンスから、わかるよね」

 ベテラン歌手でクィンシーのもうひとりの弟子、ジェームス・イングラムは言う。「クィンシーは音楽に関しては冷酷。彼にとって、ヒットするかしないか、2つに1つしかない。だれが相手でも同じなんだ」ジェームスはクィンシーと一緒に 『スリラー』からTop10ヒットになった「P.Y.T.」を作った。

「クィンシーの奥さんのペギー(=リプトン)が“Pretty Young Things”(かわいい女の子)という女性用下着を持ってきたのさ。天才のクィンシーは、いいタイトルになるって言った。マイケルは、スタジオ録音で曲を最高に仕上げた。それに、マイケルみたいに、パフォーマーがレコーディング中にずっと踊るのを僕は見たことがないよ。今まで見た連中はみんな、スタジオに入ったらマイクに全エネルギーをそそぐ。ところがマイケルは、スタジオに入って、全力で同時に歌って踊ったんだよ。びっくりしたよ」ジェームスは言う。「ほら、クィンシーは普通の人間じゃないだろ、天才さ。だから(マイケルみたいな)天才をたくさんひきつけるのさ」

 マイケルも、 『スリラー』『オフ・ザ・ウオール』 を盛りあげて自分のその後の音楽キャリアにも影響を与えることになったマジカルな時間を作りだしてくれたのは、クィンシーにほかならないと思っている。

 マイケルは言う。「8歳のとき、サミー・デービスJr.がクィンシーに紹介してくれたんだ。僕はそのことを決して忘れない。そのとき僕は、サミーがクィンシーに『こいつはただものじゃない、すごい子なんだ』と言うのが耳に入って、無意識のうちに心にとどめていた」

 何年もたって、マイケルはクィンシーに自分のアルバムをいっしょにやってほしいと頼んだ。1978年の映画 『ウィズ』のセットでは、2人の相性が黄金のコラボレーションを生みだした。「クィンシーといっしょに仕事をする素晴らしさは、彼が人にその人らしいことをさせてくれること…」とマイケルは言う。マイケルは制作の過程にとても慎重で、クラシック音楽の熱狂的ファンでもあるが、こうも付け加えた。「ひとたび、ぴったりの相性がその場に生まれたら、もう必ずマジックが起こるんだよ」

 映画 『ウィズ』の制作中に、クィンシーはときどきマイケルのなかに今まで見たことがない何かを見た。クィンシーは『エボニー』誌に語った。「映画の制作中に、いままで表に出たことがないマイケルの1面を見ることができた。マイケルがいかに頭がいいか、いかに繊細か僕にはわかった。そんな面は、以前のレコードではまったく表現されていなかったのさ」

 しかしクィンシーはもうちょっとでその企画を逃すところだった。「エピック(レコード、CBSの一部)は僕を使いたがらなかった……『ばか言うなよ、クィンシーはジャズっぽ過ぎる』って言ってね」とクィンシーは言う。

 だが、マイケルは何がなんでもクィンシーをと要求して、その後はみんなが知っての通りである。

 毎日と言っていいほど、クィンシーはそのプロジェクトの影響を世界中で見る。「いいかい、僕は今年、少なくとも3回世界を周った。アンコール・ワット、ベトナム、ソウル、ルワンダ、カイロ、アブ・ダビ、ドバイ、モスクワ。でも、いったいどこの都市にいるのか分からないのさ。なぜって、どこでも12時にあの音楽をかけ始める。“スタサム”や“Don't Stopドンスト~” や“ビリー・ジーン”……それを聴いて、 僕は恍惚としたよ。まるで25年前のようだった。前に言っただろ、80年代はぼくたちのものだったって!」


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●アルバム『スリラー』の記録
○世界で1番売れたアルバム 
世界中で1億400万枚
アメリカ国内で5400万枚
○年間売り上げ連続1位
1983年と1984年
○ビルボード100チャート・エントリー
122週
○No.1
37週
○トップ10シングル
7曲
○No.1シングル
2曲 「ビリー・ジーン」「ビート・イット」
○グラミー賞
7個

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 マイケル・ジャクソンは、バッハからボー・ディドリー(注:ブルースとロックンロールの架け橋になったと言われるシンガー・ギタリスト)にいたるまでの、様々な創造的エネルギーが結集して誕生した。

「クラシック・ミュージックが、実は僕の本当の初恋なんだ」マイケルは打ち明ける。そして、付け加えた。「それと、僕のおじさんが『ガットバケット』と呼ぶ本物の南部のジャズ、それを自分の背骨に感じるんだ」

 当然のことながら、マイケルは自分の音楽と、とても深い関係にある。マイケルにとって、音楽はメロディがすべてだ。マイケルは、自分のすべての曲のおおまかな「テンプレート(サンプル)」を作る。「お気に入りのリフ(繰り返し演奏されるメロディー)の性格をつかむには、時間も手間もかかるんだ」と、マイケルは言う。そして、自分の音楽の主人公として、音楽やプロットについて語る。「音楽はタペストリー。様々な層の積み重ねだ。まるで織物だよね。音楽を層として見ると、音楽への理解がさらに深まるよ」

 キング・オブ・ポップは、クィンシーとの仕事はとても素晴らしかったと言う。なぜなら、「クィンシーは天才だから、音楽を邪魔したりしないんだ。何か加える必要があれば、そうする。たとえば、すばらしいリフとかね。クィンシーはよく言った。『スメリー(クィンシーがつけたニックネーム)、歌にしゃべらせるんだ。もしも歌にストリングスが必要なら、歌がそうきみに教えてくれるよ。脇に寄って、すき間を残しておくのさ。そうすれば、神さまがやって来れるからね』と」

 クィンシーはうなづく。「それは、僕のモットーだったんだよ。神さまがその場を通れるように、すき間を残しておかなければならない。僕たちが何をするかじゃないのさ。年をとればとるほど、僕は本当に、何についても自分たちがやらなきゃいけないことは何て少ないのかと思うようになったよ」

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 マイケルにとって、自己の精神性は、創造力のもうひとつの源だ。
「僕は、崇高な力の存在を強く信じている。神のめぐみすべてに、僕は心から感謝している」マイケルは言う。自分がこれだと思うものを作るとき、それを神と分かち合い「跪き」感謝をささげるのだと。

 来年の8月29日、マイケル・ジャクソンは50歳になる。マイケルは、特別な食事はしていないし、めったに運動もしないが、今も素晴らしい体型を保っている。それに、自分がますます創造的だということも認めている。また、自分が24歳のときとは違っていることも。「僕は、いつでも頭のどこかに、強い願望があった。僕がしたかったことは、子どもを育てること、子どもを持つことだった。僕は今、それをとても楽しんでいるよ」

 マイケルは、3人の子どもたちとよく旅行すると言う。最近、南アフリカに行った。「アフリカが大好きなんだ。アフリカには、いろんな楽しみ方がある。シミュレーター・ライドや映画館、波のあるプールもある。レコード店やお菓子屋、本屋にも行く。アフリカには、いろんなものがあるのさ」

 今やマイケルは、大人になった。マイケルをいちばんよく知っている人びとには、それが分かる。ジェシー・ジャクソン師は、古くはジャクソン5時代から、マイケルの人生をほとんど全部見てきた。ジャクソン師は、2005年のカリフォルニア裁判の間はマイケルと毎日連絡を取り合っていたし、現在はスーパースター・マイケルの個人アドバイザーを務めている。

 ジャクソン師は言う。「マイケルは、自分自身に満足していると思う。マイケルは、自分には特別な才能、天分と特別な責任があることが分かっている。それに、自分がスーパースターだということも分かっている。マイケルは、セルフ・コントロールの感覚を備えているようだ。けれど、他の偉大なスターたち同様、マイケルは多くの人びとにとっては謎めいたように見える。だが、そんなすべての奥底で、母や父や兄弟や姉妹たちに対して、とても深い愛情を持っている。マイケルは、何よりもまず、ジャクソン一家の一員なのさ」

 マイケル・ジャクソンは80歳になってもムーンウォークをしているだろうか? マイケルは、きっぱりと「No」と言う。マイケルは、コンサートからコンサートへ、巨大スタジアムから次のスタジアムへと飛行機で飛び回りながら、年をとっていくのはいやだと思っている。とにかく、そんなふうに走り回りたくない。「ジェームス・ブラウンやジャッキー・ウィルソンがやったようなやり方じゃなくて……」マイケルは言う。「彼らは、ただただ走り続けて、ずっと自分たちを痛めつけていた。[ジェームス・ブラウンが]もう少しゆっくりリラックスして、仕事を楽しむことができたらよかったのにと思う」

 マイケルには、これからの25年間のために、他の計画がある。「もっとフィルムをやりたいんだよ。ステージじゃなくて。自分がフィルムでの方が創造性に富んでいると思っているんだ。監督したり、フィルムで自分を監督したり。世界中を[ステージで]駆け回るよりは。なぜかと言うと、[ステージは]形あるものとして、キャプチャーして残すことができない。はかないのさ。コンサートは、世界で1番はかないもの。見るのにはいいけど、キャプチャーできない。フィルムなら、時間を止めれる」

 マイケル・ジャクソンにとって、時間は決して止まったことがない。毎年、1つ1つの挑戦の度に、1人ずつ子どもを授かるごとに、1つ1つの成功の度に、マイケルは少しずつ思慮深くなる。

 マイケル・ジャクソンは鏡の中の男に出会った。そして、その男に満足している。




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『エボニー』MJインタビュー和訳(21)~(24)&関連記事

Q(21): あなたは世界を舞台に活躍しています。今日の世界の状況をどのように見ていますか? 

A: 世界的規模の地球温暖化現象の窮状を心配しているよ。こんなことになるのはわかっていたから、もっと以前に人びとが関心を持ってくれていたらと思うよ。けれど、遅すぎるということは、決してないよ。収拾のつかない暴走列車だと言われてきたけど、今止めなければ、元の地球を取り戻すことはできないんだ。だから今こそ、元に戻さなければならない。それが、「アース・ソング」 「ヒール・ザ・ワールド」 「We Are the World」 でやろうとしていたことだった。みんなの意識を目覚めさせたくて、こんな歌を作ったんだよ。みんなが、言葉のひとつひとつを聴いてくれたらと願っているよ。

Q(22): 次の大統領選挙をどう思いますか? ヒラリー・クリントンかバラック・オバマか、どちらを支持しますか?

A: 実を言うと、その話はわからないんだ。僕たちが育てられた考えかたでは……人間が世界の問題を解決することを期待していないんだよ……うん、そうは見てないんだ。人間にはできない。それが、僕の見方なんだ。それは、僕たち人間を超越している。ほら、人間は、揺れる地面をコントロールできない。津波を起こす海をコントロールできない。嵐を起こす空をコントロールできない。人間はみんな、神の手の中にある。人間はそのことを考慮しなければいけないと思う。ただ、政治家の人びとには、赤ちゃんや子どもたちのためにもっと働いてほしい、もっと助けてあげてほしいと願うだけさ。そうなったら、すばらしいだろう?

Q(23): 赤ちゃんと言えば、ひとりの父親として、今25年前をふり返ってみてください。そのころのマイケルと今のマイケルのちがいは何ですか?

A: あのころのマイケルは、おそらく、ここにいるマイケルと同じだよ。僕はただ、いくつかのことをまず成しとげたかったんだ。でも、頭の中には、いつもひとつの強い思いがあったんだ。僕がしたかったこと、それは、子どもを育てること、子どもを持つことだった。だから、今それをとても楽しんでいるよ。

Q(24): あなたは、巷にあふれかえっている自分に関する読み物について、どう思いますか? どんなふうに感じていますか?

A: 問題にしていないんだ。あれは無知そのものだと思う。たいていは事実に基づいていないんだ。そう、作り話に基づいているんだよ。なかなか人と会う機会がない男。どこの町にも、そんな男がいる。すると、人はその男について噂話をする。彼についてのいろんな話。彼がこれをやったとか、あれをやったとかいう作り話。ほんとうに頭がおかしいよ!
 僕は、もうただ、すばらしい音楽をやりたいと思ってるだけなのさ。
 ところで、モータウン25周年記念の話に戻るね。あのとき特に感動したことが、パフォーマンスを終えたあとであったんだ。そのことを、決して忘れることがない。舞台の脇には、マービン・ゲイがいて、テンプテーションズもスモーキー・ロビンソンも僕の兄弟たちもいた。みんな僕を抱きしめてキスしたり、また抱きしめたりってしていた。そのとき、リチャード・プレイヤーも僕のとこにやって来て、[静かな声で] 「さっきのは、今まで見たなかで最高のパフォーマンスだった」と言ってくれた。僕は報われたよ。こうした人びと、マービン・ゲイやテンプテーションズは、まだ子どもでインディアナにいたころ、いつもテレビで見ていた人たちだった。そんな人たちからこんな高い評価をもらって、もう光栄でたまらなかった。そして、翌日には、フレッド・アステアが電話をくれて言った。「きのうの晩のショーを見たよ。テープにとって、またけさも見たんだ。君の動きは、ほんとにすごかった。きのうの晩、観客はみんな腰を抜かしていたよ!」それから後日フレッド・アステアに会ったとき、彼は指でこうしたんだよ〔マイケルは、広げた手の平の上で、指2本で小さなムーンウォークのジェスチャーをした〕
 僕は、そのパフォーマンスをしたときのことを、とてもはっきりと憶えている。自分に対してとても頭にきていたことを憶えている。だって、やりたいようにできなかったから。もっとうまくやりたかったんだ。けれど、あの日のショーが終わる前だったよ。小さな子ども……、舞台裏にいた小さなタキシードを着たユダヤ人の少年が、僕を見て言ったんだよ。[驚きの声で]「誰からそんな動きかたを教わったの?」ってね。[笑い声]それでね、僕は答えたんだよ。「神様だと思う……それから、練習かな」って。

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「作り話・噂」と 「事実説明 」

マイケル・ジャクソンに関する「事実」vs.「創作」  by『エボニー』誌

マイケル・ジャクソンは世界的に活躍するようになって以来、つねに噂や都市伝説につきまとわれてきました。真実のものもありますが、大部分が誤りです。彼が酸素吸入器で眠っているという古い話(誤り)から、彼が中東に引っ越したという最近の噂(これも、あやまり)まで、キング・オブ・ポップのチームは作り話の正体を暴くのにいつも大忙しです。最近インターネットなどに出まわっている最新の話のうちののいくつかを、下に取りあげました:

* 噂: マイケル・ジャクソンは、ひそかにナニーと結婚している。(ナショナル・エンクアイアー誌)

* 事実: 広報担当者によれば、真実ではない。マイケルを「妻帯者」と記していたとされる不動産書類は、「いたずら」だと言われている。彼は今までに2度結婚して、2度離婚している。1度、リサ・マリー・プレスリーと。もう1度は、彼のふたりの子どもたちの母のデビー・ローと。

* 噂: マイケル・ジャクソンは中東に逃亡して、ドバイに住んでいる。

* 事実: 偽り。マイケル・ジャクソンがドバイとバーレーンを何度か訪問した際には、実際には、1年半にわたって、アイルランドのダブリン近郊の邸宅に暮らしていた。(アイルランドの税制は都合がいいらしい) 最近、彼はアメリカに戻って、東海岸で生活中。メリーランドで休暇のための地所を物色中で、また、ラスベガスでも住居を検討中だそう。(広報担当者による)  

* 噂: マイケル・ジャクソンはアルコールと鎮痛剤への依存から、家族の「介入」が必要とされる。(『ピープル・マガジン』誌)

* 事実: 偽り。公開書簡で、母親のキャサリンと兄弟のティト・ジャーメイン・マーロン・ジャッキーが、次の声明を出した: 「私たちは、断固として、どんな種類の介入についても、計画や参加やその知識すら持っていることを否定します。私たちは、この噂の発信源は、だれであったとしても、金銭的な理由によって、こうした中傷的で不正確な虚偽の主張をしていると確信しています」


* 噂: マイケルは、新しいアルバムを出す。

* 事実: 事実と思われる。マイケルの陣営は発売日を確定しようとしないが、マイケルは自分がたくさん曲作りをしていて、スタジオで熱心に仕事中だと言っている。プロデューサーのwill. i. am は、マイケルとアイルランドで録音を行ったし、伝えられるところによると、カニエ・ウエスト やAkonもマイケルと仕事をしているらしい。

* 噂: マイケルとジャネットが世界ツアーを計画している。

* 事実: はっきりしない。しかし、偽りと思われる。マイケルは『エボニー』誌に、自分は長いツアーを望まないし、これから20年、自分が旅をしながら年老いていくというのは考えられないと語った。 「長いツアーは好きじゃない……ジェームス・ブラウンも、もう少しゆとりを持って、くつろいで自分の仕事を楽しめていたらよかったのにと思うんだ」




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『エボニー』MJインタビュー和訳(11)~(20)

Q(11): 演出能力について: MTVは、黒人の音楽を放送しませんでしたね。あなたは、そのことをどう感じましたか?

A: MTVは(黒人アーティストを)放送しないと言った。僕の心は傷ついたけど、同時に何かに火がついた。「なんとかしなければ……ただ無視されることはお断りだ」と思った。うん、「『ビリー・ジーン』はかけない」とMTVは言った。
 ところが、「ビリー・ジーン」をかけたとき、「ビリー・ジーン」が空前の記録を打ちたてたので、MTVは何から何まで欲しがって頼みに来たよ。家の扉をたたきつぶすぐらいにね。そして、プリンスが登場した。MTVはプリンスに対して扉を開けた。次に、ほかの黒人アーティストたちすべてに。かつてのMTVは24時間ヘビーメタルだった。狂気じみた画像の寄せ集めにすぎなかった……
 MTVは昔、僕のところに何度となくやって来て、「マイケル、君がいなかったら、MTVは存在していないよ」と何度も言った。あの人たちは当時、実際には「ビリー・ジーン」を聞いてなかったと思うけど……そんなに悪意はなかったと思うよ〔笑い声〕

Q(12): それが、まさに今日のビデオ時代の幕開けになりましたね。

A: 昔、よくMTVを見ていたことがあった。忘れられないことだけど、兄貴のジャッキーが「マイケル、おまえもこのチャンネルを見なきゃ。すごいよ、最高のアイデアさ。1日24時間音楽ばかりだよ…1日中!」って言ったことがあった。それで僕は「見せて」って言って、じっと見てからこう言った。「もう少しエンターティメントの質を上げて、ストーリー性を持たせて、ダンスも入れたら、きっともっと人気が出るのになぁ。自分でするときには、ストーリーがなきゃいやだよ。導入、展開、締めくくり、そうすれば、見る人が1本の筋を追える。筋がなくっちゃだめだ。上質のエンターティメントを見ながら、同時に、次はどうなるだろう?と思う。「スリラー」「ザ・ウエイ・ユウ・メイク・ミー・フィール」「バッド」「スムース・クリミナル」で、そうした実験や、監督や脚本を書くことを始めた。

Q(13): ミュージック・ビデオと音楽の現状については、どう思いますか?

A: [音楽業界は]岐路に立っていると思う。変革の最中だ。みんな、混乱している。何が起こるんだろうか? どうやって音楽を流通させて、販売するべきだろうか?ってね。 インターネットはある意味、すべての人に大きな影響を与えたと思う。あまりにも強力だし、子どもたちはもう夢中だからね。全世界が、インターネットで身近になり、インターネットの影響下にあるんだ。知りたいこと、コミュニケーションを取りたい相手、音楽、映画……インターネットは、すべての人に影響を与えた。今は、スターバックスやウォールマートの契約なんかがアーティストたちを直撃してるけど、僕には答えはわからない。びっくりするようなすごい音楽、それだけが、大衆の心を動かすと思う。みんな、探していると思う。ほんとの意味の音楽革命も、今は起こっていない。だけど、もしすばらしい音楽があれば、手に入れるために、人は壁を壊すんだ。つまり、『スリラー』のまえも同じようなことがあったからね。音楽はそのころ売れてなかった。『スリラー』が、みんなを販売店に運ぶのに一役買ったんだ。だから、何かが起こるときには、起こるものだよ。

Q(14): 誰のことが気になりますか?

A: 芸術的な才能という意味では、Ne-Yoが素晴らしい仕事をしてると思う。それに、Ne-Yoにはとてもマイケル・ジャクソンっぽい雰囲気がある。そこが、彼の好きなとこだけどね。彼は曲作りを理解している男だと言えるね。

Q(15): こういった若いアーティストたちともいっしょにやりますか?

A: もちろん。僕はいつだって、いい音楽をやってるかぎり、郵便配達員だろうが床掃除をしている人だろうが、気にしないタイプなんだ。いい音楽は、いい音楽だから。最も独創的なアイデアのなかには、平凡な人たちから生まれたものもあるのさ。「これを試してみよう、やってみよう」ってね。すごいアイデアかもしれないから、試してみるべきなのさ。クリス・ブラウンは素晴らしい。Akon、彼は素晴らしいアーティストだね。
 僕はいつも、自分とはちがう世代に刺激や影響を与える音楽をやりたいと思っている。人は自分が創造するものには、彫刻であれ絵画であれ音楽であれ、永く生きつづけてほしいと思うものさ。ミケランジェロは「私は、創作者は消えさるが、芸術作品は生きのこることを知っている。それゆえに、私は死から逃れるために、自分の魂を作品に縛りつけようとする」と言った。そう、僕は、そんなふうに感じているんだ。僕のすべてを自分の作品に捧げる。作品にとにかく長生きしてほしいと思っているんだ。 

Q(16): 自分が歴史を変えたことについてはどう感じていますか?そのことを、よく考えますか?

A: うん、よく考えるよ。僕くたちが扉を開いて、扉を壊すのに大きな力になったことを、とても誇りに思っている。世界中を回って、スタジアムでツアーをしてるとね、音楽の影響力が分かるんだよ。ステージから、はるか見わたすとね、自分の目に見わたすかぎり、人・人・人が見える。それは、素晴らしい気分だ。だけど、それには、ものすごい苦しみが伴ったんだ。ものすごい苦しみがね。

Q(17): それは、どういうことですか?

A: 競争のトップに立っているとき、先駆者であるとき、人びとからの攻撃を受ける。トップ、そう、人はトップにいる者を攻撃しようとする。
 でも、たくさんの新記録、数々のすごいアルバム、数多くのNo.1ヒットに感謝しているよ。今でも感謝している。僕はね、居間で父さんがレイ・チャールズを演奏するのを聴いて育ったんだ。母さんに、午前3時に起こされて、「マイケル、あの人がテレビに出てるわよ~!」って言われて、僕はテレビのとこに走っていったことがある。ジェームス・ブラウンがテレビに出てたんだよ。僕は当時、「これが、僕のやりたいことだよ」って言っていた。

Q(18): マイケル・ジャクソンに、これからも期待していいですか?

A: 今、たくさんの曲を書いているよ。毎日のように、スタジオにいるんだ。あのね、今流行ってるラップなんだけど、最初に出てきたときに、ラップはもっと世界共通なものになるために、もっとメロディックな構造を取りいれるだろうといつも思っていた。だって、すべての人が英語を話せるわけじゃないから〔笑い声〕 それに、そうじゃなきゃ、この国だけにかぎられてしまう。だけど、メロディがあれば、だれでもメロディをハミングできる。メロディがあるから、今じゃ、フランスでも、中東でも、どこでもよくなったのさ!今、ラップは世界中に広がってるよね。ラップにメロディックな流れが取りいれられたからさ。歌はハミングできないとだめなんだよ。アイルランドの農夫からハーレムのトイレ掃除をしている女性や口笛を吹く人や指を鳴らす子どもまでね。歌は、ハミングできなきゃだめなのさ。

Q(19): ところで今、あなたはもうすぐ50歳ですね。80歳になっても、同じことをしていると思いますか?

A: 実のところ、うーん、No。ジェームス・ブラウンやジャッキー・ウィルソンがやった方法じゃなく…なぜなら彼らは、もう消耗しきって、自殺行為をしているようなものだったから。僕としては、ジェームス・ブラウンがゆとりを持って、もう少しくつろいで自分の仕事を楽しめていたら良かったのにと思うんだ。

Q(20): またツアーをするつもりはありますか?

A: 長いツアー(巡業)は好きじゃない。でも、巡業の大好きな点は、技術が美しく磨かれること。そこがブロードウェイの大好きなとこなんだ。だから、俳優たちは技を磨くためにブロードウェイをやるのさ。技術を向上させてくれるからね。なぜなら、すばらしいエンターテイナーになるのには、何年もかかるから。そう、何年も。ただやみくもにだれか連れてきて、しのぎをけずらせようとしても無理だよ。絶対うまくいかない。観客にはわかるのさ、ちがいが。手の動かしかたや体の動かしかた、マイクの使いかた、おじぎのしかた。観客には、そんなちがいがすぐわかるのさ。
 ところで、スティービー・ワンダーは、音楽の預言者だと思うよ。彼のこともすごい人だと思っている。かつて、「もっと曲作りがしたい」と思って、プロデューサーのギャンブルとハフやハル・デービスのザ・コーポレーションズがジャクソン5のたくさんのヒット曲を書くのを見ていた。その曲作りの解剖学を学びたかったのさ。彼らが当時やっていた方法は、自分たちがトラックを取りおえてから、僕たちを呼んで歌わせるというものだった。僕は、当時よく、頭にきてた。だって、彼らプロデューサーたちがトラックを作るのを見たかったから。彼らは、トラックができた後で、"ABC" "アイ・ウォント・ユー・バック" "ザ・ラブ・ユウ・セーブ"をくれた。僕は、全工程を経験したかったのに。
 それで、スティービー・ワンダーは、かつて僕を曲作りの場に座らせてそっと覗かせてくれたのさ。僕は、運よく『キー・オブ・ライフ』(Songs in the Key of Life)」が最高の曲ばかりによって完成するのを目撃した。僕はマービン・ゲイと座っていた……みんな、当時よくうちに来ていっしょにブラブラしたり、週末には兄弟たちとバスケットボールをしていた人びとなんだ。いつも、こうした人びとが身近にいた。そう、曲作りに関する科学とか解剖学とか構造が見れるってことは、ほんとうにすばらしいことだよ。

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『エボニー』MJインタビュー和訳(1)~(10)

ebony mj smile


アメリカのブラックカルチャー誌『エボニー』(Ebony)2007年12月号に掲載されたマイケル・ジャクソンのインタビューの和訳。

マイケルの頭の中がのぞけて、とても楽しい訳でした。

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●マイケル・ジャクソン: 過去・現在

ジョイ・T・ ベネット(Joy T. Bennett)が、マイケルの過去の業績、『スリラー』誕生の舞台裏、当時のCBSレコード社長イエトニコフ(Yetnikoff)とMTVのやりとり、プロデューサーのクインシー・ジョーンズの話、また、現在マイケルの個人的アドバイサーを務めるジェシー・ジャクソン師の話……などを収録して解説。

●Q&A 「マイケル・ジャクソン:自分のことばで語る」インタビュー by ブライアン・モン

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Q (1): どんなふうに、あの『スリラー』は始まったのですか?

A: モータウンが『ウィズ』という映画を準備していて、クインシー・ジョーンズが、たまたまその音楽を担当していた。実はクインシーを前に聴いたことがあった。まだ子どもでインディアナにいたころ、父がジャズのアルバムをよく買っていて、ジャズ・ミュージシャンとして知っていたんだ。
 そんなわけで、この映画を作ったあと、(映画製作中も、かなり親しくなったけどね、クインシーは僕がことばを理解するのを助けてくれたり、まるで父親のようだったから)できるかぎりの誠実さをこめて、彼に電話をかけた。僕ははずかしがり屋だし、特に当時はそうだったんだ。以前は、話かけられているとき相手の顔さえ見れなかった。冗談なんかじゃないよ。僕は「アルバムの準備中なんですが、どなたかいっしょにアルバムをプロディースするか協力するかしてくださるかたを推薦してくださいますか…」って聞いたんだよ。彼は、一瞬沈黙してから「僕じゃだめかい」と言った。どうして、それを思いつかなかったんだろうかって思ったよ。彼をむしろ自分の父親として見ていて、ちょっとジャズっぽいと思っていたからかもしれない。だから、彼のことばを聞いたあと、「わぁ、それはすごいよ」って言ったんだよ。クインシーといっしょに仕事をする素晴らしさは、彼がやりたいことをやらせてくれる点なんだ。やりたいことをじゃましたりしないのさ。
 そう、彼とやった最初のアルバムは、『オフ・ザ・ウォール』だった。そして、ロッド・テンパートンがスタジオに参加した。ドイツのWurms出身なんだけど、このロッドがあのすごい "doop,
dakka dakka,doop, dakka dakka dakka doop"という「ロック・ウイズ・ユウ」のメロディとコーラスを持ってきたんだ。僕は「わぁ!」って興奮して、それを聞いたとき、「Ok、今すぐとりかからなきゃ」って言った。ロッドが何か出してくるたび、僕も何か出す。ふたりは、ちょっとした競争をしていたんだよ。僕は、そんなやりかたが大好きなんだ。ウォルト・ディズニーがどんなふうに映画『バンビ』やアニメを作ったか読んだことがあるんだけど、それによると、彼はフロアーの真ん中にシカを置いて、アニメーターたちにいろんなスタイルのドローイングで競わせたそうだ。彼は、自分がいちばん気にいった効果的な図案を作った者を選んだ。おたがいにいい感じで競っていたけど、競争にはちがいなかった。競争がさらなる努力を喚起する。そう、ロッドが何か持ってきて、僕が今度は何か持ってくる。そうやって、僕たちはあの素晴らしいアルバムを作りあげたんだ。

Q(2): 『オフ・ザ・ウォール』のあと、82年の春に『スリラー』をやるためにスタジオにもどりましたね。

A: 『オフ・ザ・ウォール』のあと、このアルバムから、僕たちはNo.1ヒットを連発した。
「ドンスト~」「ロック・ウイズ・ユウ」「シーイズ・アウト・オブ・マイ・ライフ」
「Workin'~」は、グラミー賞にもノミネートされた。でも、うれしくなかった。あのアルバムについては、まだまだやり足らないという思いがあったし、もっといろんな表現をしてみたかった。魂や心をもっと注ぎたかった。

Q(3): 『スリラー』はあなたにとって転換期でしたか?

A: 完全な転換期だった。子どものころから、僕はいつも作曲の勉強を していた。いちばん影響を受けたのは、チャイコフスキーだった。たとえば、『組曲 くるみ割り人形』のようなアルバムを例にとると、1曲1曲が全部すばらしい。だから「なぜポップスのアルバムで、それができないんだろう?」と思っていた。かつて、ポップスのアルバムでは、良い曲は1曲だけだった。残りはB面のような出来で、「アルバム・ソング」と呼ばれていた。僕は、なぜ全曲をヒット・ソングみたいにできないのかな?なぜ全曲、シングル・カットしたとき、みんなが欲しがるようないい曲にできないのかな?と思っていた。だから、いつもその実現に向かって頑張ろうとしていた。それが、次のアルバムの目的で、全体の構想だった。自分たちが望むものすべてを出したかったんだよ。そのために、僕は必死でやった。

Q(4): その創作のプロセスを、あなたは意図的にやったのですか?それとも、自然にそんなふうになったのですか?

A: かなり意図的だったよ。【意識的にやって、それがあわさったとしても、この宇宙のなかで創造されたんだ。いったんしかるべき科学反応がその場で起こったら、マジックは必ず起きる。必ず。まるで、地球の半球に、ある自然の力が加わったら、もう一方の半球でこのマジックが起こるように。】これは科学。最高の人びととそれを体験できるのは、とにかくすばらしいよ。
 クインシーは、僕を「スメリー」というニックニームで呼ぶんだよ。スピルバーグも僕を「スメリー」と呼ぶ。それはね、当時、特に当時、今は少しは悪態もつくけどね、僕は悪態をつくことは絶対なかったんだ。そう、「(悪いことばとされる『funky』の代わりに、似た『臭う』という意味を持つ普通のことばの『smelly』を使って)とても『スメリー』な歌だね」なんて言っていたのさ。「すごくいいから、夢中になる」って意味でね。クインシーは、それで僕を「スメリー」と呼んでいたんだよ。
 それにしても、クインシーといっしょにやるのは、とてもすばらしかったよ。クインシーは、実験させてくれるし、自分のやり方でさせてくれる。彼は天才だから、音楽のじゃまをしないのさ。それでいて、もしたすべき要素がある場合は、そうしてくれる。彼は、細やかなことを聴きとれるのさ。たとえば、「ビリー・ジーン」で、僕はちょっとしたバスの部分を思いついて、それからメロディーと全体の構想を考えついた。クインシーはそれを聴いて、すてきなリフを付けたしてくれた。
 僕たちはトラックに取り組むために、当時、彼の家でしょっちゅう会って、演奏していた。「スメリー、音楽にしゃべらせるんだよ」とよく彼は言った。僕は「Ok」と言った。それに、「もしも、その歌に何か必要なら、歌がきみに教えてくれる。歌にしゃべらせるんだよ」と言っていたよ僕くは、それがだんだんできるようになった。すばらしい音楽の作り手になるための鍵は、作ることではないんだ。とにかく、邪魔をしないこと。神が入ってくるための空間を空けておかなければならない。僕はこれだと思うものを作るとき、跪いて感謝のことばを捧げる。ありがとう、全能の神(エホバ)!ってね。

Q(5): いちばん最近で、そんな気分になったのは、いつですか?

A: そうだな、ごく最近。僕は、いつでも曲作りをしている。これだっていうのがわかるときは、時々何かが近づいてきてるように感じる。まるで、懐妊とか妊娠みたいなんだ。感情的になって、身ごもってるような感じがしてきて、そしてマジックが起こる! 何か、とても美しいものが爆発する。
「わぁ」って思うよ!それだよ。そんなふうに、美しいものとしてやってくる。
12notes(12音)と旅する宇宙だよね……

(マイケルは今、iPhoneで「ビリー・ジーン」の初期のヴァージョンを聴いている……)

……僕は曲を作るとき、ごくおおざっぱなヴァージョンを作って、コーラスだけを試しに聴いて、そのコーラスをどのくらい気にいるか聴いてみることにしている。ざっとやってみて、気にいったら、うまくいくのさ。たとえば、こんなふうさ。家にいたときは、ジャネットとランディとぼくがいて、ジャネットと僕が「Whoo、whoo~whoo、whoo……」ってやった。それと同じことを、どの曲にもやるんだ。メロディ、メロディがいちばんたいせつさ。もしメロディに納得して、そのおおざっぱなヴァージョンを気にいったら、次のステップに行く。もし頭のなかでいい感じに聴こえたら、実際にやってみたときもだいたいうまくいく。つまり、頭のなかにあるものを、そこからテープに書きうつすという考えかただよ。
「ビリー・ジーン」のような曲を例にとると、この場合、ベースのラインが目立っていて、曲の主人公なんだ。中心になるリフをちょうどいい加減に調整するのには、ものすごく時間がかかるんだ。ほら、この曲には4種類のベースが聴こえて、4種類の性格を醸しだしている。それが、曲の個性を作るのさ。だけど、そのためには、ものすごい作業が必要なんだよ。

★上の【かっこ】のなかの訳は、まだ考え中です。

Q(6): もうひとつの晴れ舞台と言えば、モータウン25周年記念でしたね…

A: 僕は、「ビート・イット」をスタジオで編集していた。どういう理由だったか、たまたまモータウンのスタジオでやっていた。ずっとまえにモータウンはやめていたけどね。モータウンでは、記念のための準備が進んでいた。ベリー・ゴーディーがやって来て、ショーをやりたいかときいた。僕は、「No」って言った。僕は、そのとき、『スリラー』で計画していたことの具体的制作に入っていたからね。すると彼はさらに、「しかし、記念パーティーだよ」と言ってきた。僕は、「やるよ。ただし、モータウン以外の曲を1曲やらせてくれるならね」と答えた。「何をやる?」と聞かれたので、「ビリー・ジーン」と答えた。彼が「Ok、いいだろう」と言ったので、僕は「ほんとに『ビリー・ジーン』をやらせてくれるの?」と尋ねた。彼の返事は、「Yeah」だった。
 それで、ぼくはリハーサル、振りつけをし、兄弟たちの準備をし、曲を選び、メドレーの演目を決めた。それだけじゃなかった。カメラ・ワークを決める必要があった。僕は、自分ですべて監督・編集する。すべてのショットが、僕によるショットなんだ。どうしてそうする必要があるか話そう。僕には、5台から6台のカメラがつく。パフォーマンスしているとき、どんなパフォーマンスでも、適切にとらえないと、人びとは見もしない。カメラは、世界一自分勝手な媒体だ。人びとに見てもらいたいものを、見てもらいたいタイミングで、見てもらいたいやりかたで撮影する。どんな並べかたで見てもらいたいかさ。プレゼンテーションされたものの全体の雰囲気すべてを、アングルやショットを使って作りだすのさ。僕は、自分が何を見たいかわかっているからね。どんなふうに自分を観客に見せて、どんなふうに観客から見られたいか、知っている。パフォーマンスのとき感じた感覚をわかっている。だから、カット・編集・監督するとき、その同じ感覚をもう一度つかもうとするんだ。

Q(7): どれくらい前から、こういったすべてを作ってきたんですか?

A: 小さな子どものころから、兄弟たちといっしょにね。父はよく、「マイケル、ほかの兄弟たちに教えてやれ」って言ってたんだ。

Q(8): ご兄弟たちは、そのことで嫉妬しませんでしたか?

A: そのころ、そんな様子は全然見せなかった。でも、つらかったにちがいないよ。だって、リハーサルや練習のあいだ、僕は絶対叩かれなかったからね。〔笑い声〕でもあとになったら、僕は罰を受けたものさ。〔笑い声〕そうなんだ、いつも罰を受けるのは、あとでなんだ。父は、手にベルトを持ってリハーサルをしていた。だから、失敗なんかできなかった。父はぼくたちに、ステージのやりかた、聴衆への対応、次に何をすべきかの予測、聴衆に自分たちが苦しんでいることや何かがうまく行っていないことを絶対知られないようにすることなどを教えたけど、そのやりかたは天才的だった。父は、みごとだったよ。

Q(9): あなたがビジネス・センスだけじゃなく、すべてをコントロールする方法を学んだのも、お父さんとの経験からだと思いますか?

A: そのとおり。父との経験……僕は父から多くのことを学んだ。父は若いころ、ファルコンズというグループをやっていた。メンバーは四六時中やってきては、音楽を演奏していた。だから、いつも音楽やダンスがあった。黒人がやる伝統的文化なんだけど、家具を全部どかして、音楽をかけ、仲間がやってきたら、みんなフロアの真ん中に集まるっていうのがある。そして、何かしなきゃいけない。僕はそれが大好きだった。

Q(10): 今、あなたの子どもたちは、そんなことをやりますか?

A: やるけど、てれるんだ。でも、ときどき、僕のためにやってくれるよ。



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