翻訳の森 Diary

翻訳の森を迷走中

ペンネームで遊ぶ

仕事の合間に、ペンネームのことを考える。
一部英語にして、〈フォレスト由美〉ってどうかな?
長男に、「カッコつけすぎ」と言われた!
でも、本名にちなんでいるしね?
まんざら飛躍しているわけじゃない。
「もっとおもろい名前の方が本人のキャラに合ってる」とも言われた。
だけど、芸人じゃないし、おもしろくなくてもいいよね?
顔が出る仕事でもないし。
それにしても、名前を考えるのって楽しいな。
最近の私の娯楽のひとつ!
息子たちの名前も、つけたのは私。
ところで、女の子がもし生まれたら、〈カレン〉と名付けたかった。
カレンは、カリフォルニア時代、同じ学生アパートに住んでいた女の子の名前。
ショートパンツにTシャツ、無造作にポニーテールにした金髪を風になびかせ、いつも軽やかに自転車に乗っていた。
美人だけど全然いやみがない、素敵な人だったな。
さすがに、カレンと名乗る勇気はありません。
[ 2017/09/23 00:13 ] ◇翻訳 | TB(0) | CM(0)

ゲシュタルトの祈り

I do my thing, and you do your thing. I am not in this world to live up to your expectations, And you are not in this world to live up to mine. You are you, and I am I, and if by the chance we find each other, it’s beautiful. If not, it can’t be helped.   by Frederick Salomon Perls

「わたしはわたしの人生を生き、あなたはあなたの人生を生きる。
わたしはあなたの期待にこたえるために生きているのではないし、あなたもわたしの期待にこたえるために生きているのではない。
私は私。あなたはあなた。
もし縁があって、私たちが互いに出会えるならそれは素晴らしいことだ。
しかし出会えないのであれれば、それも仕方のないことだ」

ドイツの精神科医、フレデリック・パールズの「ゲシュタルトの祈り」と呼ばれる詩。私は心理学の勉強をしたことがないし、この文も翻訳の仕事でちょっとかじっただけ。でも、心に留ったのでメモしておく。
[ 2017/08/16 16:43 ] ◇Love & Belief | TB(0) | CM(0)

生きているだけで幸せな気分

人の命には限りがある。
父と母が身をもって教えてくれて、遅まきながら私は実感することができた。
だから今、生きているだけで毎日が輝いて素敵に思える。
パパ、ママ、ありがとう! 
[ 2017/08/15 10:35 ] ◇My Life | TB(0) | CM(0)

『呼び出された男』スウェーデン・ミステリ傑作集

スウェーデン・ミステリ傑作集『呼び出された男』の、『弥勒菩薩(マイトレーヤ)』という短編を翻訳させていただきました。
お話には、アフガニスタンから略奪された弥勒菩薩(英語でマイトレーヤ)の仏像が印象的に登場します。
主人公ステラはアートを愛する若く美しい女性刑事。切ない恋もあります!
呼び出された男
http://www.hayakawa-online.co.jp/shopdetail/000000013611/
[ 2017/08/13 02:50 ] ◇翻訳 | TB(0) | CM(0)

母との6年

2009年の父の急死で、母はショックのあまり精神的に異常をきたした。繊細で几帳面な母の神経は医師としての母の仕事には最適だったが、父のいなくなったことには耐えられなかったようだ。
その日を境に、母の記憶が数日間消えた。また、記憶が戻ってからも、鬱の状態がきつくなった。母の信頼する心療内科の先生に定期的にかかることになり、自宅療養が始まった。とてもひとりでほおっておけなくなって、近所に住んでいたので母の家に息子たちふたりと移り住んだ。
それから、母が2015年に再生不良性貧血で亡くなるまでの6年、私はいつも母といっしょだった。英語講師や産業翻訳の仕事を減らしてもらって、いっしょに食事をとり、母の心が落ち着くことを祈って暮らしていた。最後の数カ月まで母は自分で散歩もできたので、本当に大変だったのは母との長い長い会話の相手だったように思う。もう少し、母が社交的な人だったら、地域のサークルなどに出ていけたのかもしれない。けれど長年仕事一筋だった母の趣味は、ジムで水泳をするとか、ひとりでショッピングをすることで、あまり家族以外と交わることを好まなかった。
6年の間、私まで籠の鳥になったようで、家を離れられない日々が続いたが、息子たちが母に優しかったのが一番の救いだった。今となっては、私が母の言いなりに家でいっしょに閉鎖的に過ごしていたのが最善の方法だったのかはわからない。単身赴任中だった夫とは、母のことで諍いが絶えなかった。その6年の間に、姉夫婦と同居していた福岡の夫の両親も亡くなった。
2015年5月、母が自宅で亡くなった。貧血がひどく、もう輸血も無理になっていた。
6年の間、母はいつも自分の過去を反省したり後悔したりしていた。それを「そんなこと大丈夫」とうっとうしがるのではなく、もっと「そうね、そうね」と心に沿ってあげられたらよかった。その方が母も幸せな気分だったのにと、今も思う。至らないところだらけの自分だったが、最後の晩、母のベッドでいっしょに眠れたことだけはほんとによかった。
[ 2017/08/12 21:20 ] ◇My Life | TB(0) | CM(0)